吉原神社でお祀りしているのは、弁財天です。
吉原神社のご祭神は、稲荷神である倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と弁天様である市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)で、開運、商売繁昌、技芸上達などのご神徳です。
元和3(1617)年、徳川幕府の命によって、江戸市中各地に散在していた遊女屋は日本橋葦町あたりに廓として統合されました。これが「江戸元吉原」です。
その後、明暦3(1655)年の大火のあと千束村に移転を命ぜられ、そこに新しく造られたのが「新吉原」ということになります。
新吉原遊郭には古くから鎮座されていた玄徳(よしとく)稲荷社、それに廓内四隅の守護神である榎本稲荷社、明石稲荷社、開運稲荷社、九朗助稲荷社が祀られておりました。
この五社が明治5年に合祀されることになり「吉原神社」として創建されました。吉原神社の歴史は新吉原遊郭のそれと折り重なり、廓の鎮守の神として古くから崇敬されてきました。
五社のなかでも 九朗助稲荷社の創建は古く、和同4(711)年、白狐黒狐が天下るのを見た千葉九朗助という人の手で元吉原の地に勧請されたのがはじまりとされています。そして廓の千束村への移転にともなって浅草新吉原の地にふたたび勧請されました。
廓内の神のなかでも伝説や逸話に富み、遊女、遊客とからみ、開運、縁結び、商売繁昌のご利益のある神として華やかな信仰を集め、その様は江戸の小噺集などにもしばしば登場しています。
江戸時代の祭礼には、花魁、太夫(遊女の中でも最高格式を有する者)の道中行列や即興劇「仁和賀(にわか)」などで賑わいましたが、現在は近くの境内飛び地の緑苑弁財天本宮境内に建てられている「花吉原名残碑」が、わずかに昔を語っています。 |
市杵嶋姫命(弁財天)は、遊郭の土地造成でできた弁天池に祀られ、関東大震災の後に遊郭の守護神に加えられました。そのお顔は童女のような清純さと優しく美しい面立ちの座像で、女性の愛と苦しみを清めて包み込む救いのお姿です。 |