池波正太郎が愛した江戸の人情ここにあり
雷門や浅草寺、仲見世通りに代表される浅草。
その浅草寺の北側に当たる「奥浅草」が今、ひそかに話題となっています。東に隅田川を臨む奥浅草は、浅草寺・言問通りの北側エリアで、歌舞伎の江戸三座跡地をはじめ、吉原や数々の寺社が点在する歴史とロマンを感じるエリアでもあります。
明治維新後は、西洋靴への切り替えに伴い皮革産業発展の地ともなりました。カフェやレストランがオープンするなど旧来の観光だけでない、レトロモダンな情報の発信地としても注目されています。
この度、浅草にゆかりのある「池波正太郎の世界観をテーマに、観光ツアーを開催いたします。
ルート
①OKAWABASHI( AZUMABASHI)
大川橋(吾妻橋)
大川橋(吾妻橋)/安永3(1774)年、6名の町人が江戸幕府の承認を得て架橋。江戸の頃の隅田川には両国・永代・吾妻・新大橋の四橋があり、吾妻橋以外は幕府で架設されたもの。名称は、江戸から東へ通じる、または江戸の東にあるという意味の「東橋」からで、雅な表記「吾妻橋」が好まれた。明治9(1876)年、正式に「吾妻橋」となった。
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②SANYABORI HIROBA
山谷堀広場 東京都台東区浅草7丁目1−22
山谷堀広場/隅田公園の北部にある広場。江戸時代に浅草神社の正月行事だった「浅草流鏑馬」が隅田公園特設会場で披露されるが、山谷堀広場では、昔、射術の練習用に、草を束ねて鹿に似せてつくった的を射る「草鹿(くさじし)」が催される。
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③MATSUCHIYAMA SHOUDEN
待乳山聖天 東京都台東区浅草7丁目4-1
待乳山聖天/ご本尊は聖天様。境内に賑やかな浅草とは思えない静寂が広がり、強力なパワースポットと呼ばれるだけある。境内の中のあちこちに、「待乳山聖天」のシンボルである大根と巾着が彫り物や絵として飾られている。体内の毒と煩悩を消す効果があるとして、大根を供えることは自らを洗い清めて頂く意味合いを持っています。また巾着は砂金袋を表しており、商売繁盛を願って、多くの人が供えにやってきます。
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④CHOSHO JI
長昌寺 東京都台東区今戸2-32-16
浅草寺座主を務めた寂海法印が、弘安2年(1279)に妙昌寺として開山。その後水害に遭った後、元享元年(1321)現在地に再興、長昌寺と改名。
深栄山・長昌寺は、今戸の外れを西へ入ったところにある。この寺は、日蓮宗の古跡(こせき)で、開山の日寂(にちじゃく)上人(しょうにん)、はじめ浅草寺の住職であったとつたえられる。(鬼平犯科帳11巻「密告」より)
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⑤HONSHO JI
本性寺 東京都台東区清川1-1-2
「痔の神様」として有名な秋山自雲(しゅうざんじうん)の墓がある。浅草・今戸の本性寺の墓地へ仮埋葬した嶋岡礼蔵の遺体に、秋山親子は線香をささげていた。本性寺には、秋山小兵衛の妻で、大治郎の母でもあるお貞の墓がある。(「剣客商売」より)
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⑥MYOUKIDUKA(ASAJIGAHARA)
妙亀塚(浅茅ヶ原) 東京都台東区橋場1-28-2
妙亀塚/妙亀塚公園という小さな公園の中にある塚。このあたりは謡曲「隅田川」で有名な妙亀尼とその子梅若丸の伝説の地で、小高い塚に板碑をはめ込んだ供養塔が立っており、都の旧跡に指定されています。「剣客商売」の中で、主人公の無外流の達人、秋山小兵衛が、粗末な住まいを建て、40歳も年下の女房おはると住んだ地。
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⑦OBAKEJIZO(SOUSEN JI/SHOUGIN JI)
お化け地蔵(総泉寺・松吟寺) 東京都台東区橋場2-22-2
平賀源内墓/エレキテル(摩擦起電機)の復元製作などで知られる、江戸中期~後期に活躍した発明家・平賀源内の墓。安永8年(1779)に殺傷事件を起こし、小伝馬町の牢内で獄死、当地にあった総泉寺に葬られたといい、総泉寺が板橋区小豆沢に移転した後も墓は当地に保存、昭和6年には松平頼壽(旧高松藩当主)により築地塀が整備され、昭和18年に国史跡に指定された。
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⑧TAMAHIMEINARI JINJYA
玉姫稲荷神社 東京都台東区清川2-13-20
創建は天平宝寺4年(760年)今では年2回行われる、こんこん靴市が有名。玉姫稲荷は、総泉寺に接した浅茅ヶ原の西方の田畑の中にある小さな稲荷社である。(剣客商売より)
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休憩(食事)ICHIMON
浅草一文 別館 東京都台東区浅草3丁目32−2
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⑨YOSHIWARAOMON
吉原大門 東京都台東区千束4丁目10
吉原大門/幕府公認の遊廓である吉原の入り口に設けられていた門の跡地。江戸時代には黒塗りアーチ型楼門(木造)だったが、明治には鉄門となったが、1911年に大火で焼失し、関東大震災後に撤去された。
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⑩YOSHIWARA JINJYA
吉原神社 東京都台東区千束3-20-2
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⑪YOSHIWARA BENZAITEN
吉原弁財天 東京都台東区千束3-22
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⑫SENGEN JINJYA
浅間神社 東京都台東区浅草5-3-2
浅間神社/富士山への信仰に基き勧請された神社で、神体として「木造木花咲耶姫命坐像」を安置する。創建年代は不明だが、江戸時代初期の寛文11年(1671)までには鎮座していたようである。江戸時代には浅草寺子院修善院の管理のもと、修験道による祭祀が行われ、江戸を代表する富士信仰の聖地として、各地の富士講講院たちの尊崇を集めた。
江戸時代、富士山参拝は江戸庶民にとって生涯の夢であったため、富士山信仰が生まれ、浅間神社は全国各所につくられた。創建は不明で、元禄年間以前の「江戸絵図」にその鳥居が描かれている。わたしらもお富士様のご利益は十二分に享受しました。どうしてって?仲間が、集まった金子をこっそりと頂戴して山分け、これも功徳というもので。(鬼平犯科帳より)
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一般参加者奥浅草観光ツアー