「浅草寺本尊示現会」は、推古天皇三六年(西暦六二八年)三月十八日の早朝、檜前浜成・竹成の兄弟が江戸浦(隅田川下流の宮戸川)で漁をしていたところ、一体の仏像を投網の中に発見し、土師真中知がこれを拝して聖観世音菩薩の尊像であることを知り、従者と共に槐(えんじゅ)の木の切り株に尊像を安置したという「浅草寺縁起」に基づいた行事です。同縁起によれば、その後一夜にして「あかざの草堂」が築かれ、十人の子供の手により尊像は草堂に安置されており、これが浅草寺の創始であると伝えられており、従って「浅草寺本尊示現会」は浅草の町の誕生を祝う行事として行われていました。